前回までに引き続き、今回も手長神社境内の御柱。
八百万の神々などといいますが、日本にはそれはたくさんの神様がおられます。
そんな神様の中でもビッグネームばかりを祀った祠を境内で見つけました。今回はその祠の御柱です。
見つけたのはこちら。
随分と小さな社に不釣り合いな大きな御柱が建っています。
あまりのバランスの悪さに違和感を覚えたのですが、周囲にある碑をみて納得しました。
こんな感じです。まだちょっと分かりづらいでしょうか。
まず右側の碑です。
大黒様としても有名な、出雲大社の大国主命です。諏訪の神様(建御名方神)のお父様です。
ちなみに、大社は「たいしゃ」ではなく「おおやしろ」と読むそうで、大社といえば出雲大社のことを指すそうです。
それから左側の2つの碑のうち内側のもの。
富士浅間大神とあります。木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめのみこと)の事ですね。
天孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が日向の高千穂の峯に天降りされた際に出会った絶世の美女で、後に夫婦となった神様です。
さらに左隣の碑。
2文字目が読み取り辛いのだが、伊〇皇大神と他は読めるので、おそらく伊勢の神宮の事、つまりは天照大御神のことだろうと思う。
通常、伊勢神宮と呼ばれていますが、こちらも大社と同様に神宮と言えば伊勢にある神宮のことで、「伊勢神宮」なる神社はなく、本来の名称が「神宮」なので、他の〇〇神宮と区別して伊勢の「神宮」と呼ばれています。
※追記
id:ot0rip604さんから「雑」の字ではないかとコメント頂きました。なるほど、確かに伊雑皇大神と読めます。
皇大神宮(伊勢神宮内宮)には伊雑宮(いざわのみや)という別宮があります。祭神は天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)ですが、これは天照大神と同一の神様で、神職が神前にて名を唱えるときに天照坐皇大御神と呼ぶそうです。
例え祠が小さくても祀られている神様がこれだけのビッグネームだと、そりゃ、御柱も立派にしないわけにはいきませんよね。
それにしても、この三柱を一緒に扱って大丈夫なんでしょうかね?
なんか、古事記の物語的には微妙な感じですが…