以前にメインで書いているブログの方に書いた記事に関連する御柱を紹介します。
伊達正宗の娘・五郎八姫にちなんだ「いろは紅葉」を夫・松平忠輝の眠る貞松院で見てきた。 - ヘソで茶をわかす
徳川家康の六男で松平忠輝という人がいました。この方、当初は越後高田藩主(福島城主)に任じられ、伊達正宗の娘の五郎八姫(いろはひめ)を嫁さんにもらうなど出世街道を直走るのですが、後に改易され、最終的に諏訪に流されるという悲劇の人だったりします。
諏訪に流されたのちに住まったのが高島城の南の丸。現在は南の丸の有った付近に小さな祠が建てられています。
っで、やっぱり、周囲には御柱が建っているわけです。
割と大きな柱です。
気になるのが、太さこそ一之柱、二之柱の方があるのですが、柱の長さということになると、建てられている場所のせいもあって後方の三之柱、四之柱のほうがあるようにも見えました。
ちなみに、ここにあった南の丸には赤穂浪士の話で有名な吉良上野介の孫で、後に養子になった吉良義周も住まっていたそうです。
こちらも討ち入りの後に諏訪に流された悲劇の人。
詳しくはこちらも別のブログで記事にしましたのでどうぞ。時期的にもそういう時期ですしね。